東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から10年。 被災した人々はどのような思いを抱き、どんな日々を重ねてきたのだろう。 多くの命や日常生活が失われた被災地で、 新たな社会の構築に向けた取り組みも始まる。 悲しみや絶望の中で生きた軌跡をたどる。
一人一人にそれぞれの震災があり、災後の歩みがある。震災の津波で園児8人と職員1人が犠牲になった宮城県山元町の私立幼稚園で、2011年から続く防災・伝承活動を描く。
震災後の10年は、東京電力福島第1原発が立地する福島県にとって風評との闘いの歩みでもあった。福島の海をなりわいとする浜や水産加工、流通の現場で風評にあらがう人々に会った。
被災地では失われた命の重さと向き合う日々が続く。遺体の身元確認のため歯科所見を作成し続けた岩手医大の歯科医、似顔絵に心血を注ぐ宮城県警鑑識技能伝承官の思いを追った。
津波で児童74人と教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市大川小。「救えた命だった」。児童23人の遺族の訴えは司法に認められても、わが子は帰らない。息子を失った原告遺族の軌跡をたどる。
津波の襲来に備えていた人がいた。宮城県東松島市の高台に私費で避難所を造って住民を守った男性と、津波の犠牲者がゼロだった岩手県洋野町で自主防災組織を率いる男性を追った。
人口減少と高齢化が加速する被災地で新たなまちづくりが進む。多くの人を呼ぶ仕掛けや地域資源の活用、魅力の発信。山積する課題と向き合い、地元に根を張りながら奮闘する人々の姿を描く。
津波で多くの住民が犠牲になった仙台市若林区荒浜地区。浜の集落は災害危険区域に指定され、荒浜小は震災遺構に生まれ変わった。災禍を生き抜いた子どもたちの歩みをたどる。
たくさんの子どもたちが親を失った。岩手、宮城、福島の被災3県で遺児・孤児は約1800人に上る。それぞれが周囲の支えや親の遺志をよすがに、力強く人生を切り開いている。
多くの経済人が被災地のなりわいの再生に取り組んできた。深刻な打撃を受けた地域のため、大切な人を守るため。ビジネスを通して復興に貢献する仕事人にスポットを当てる。
被災者にとっての10年は、復興へと向かう力強い歩みだけではなかった。癒やしようのない喪失感を抱き、時として希望のないあすを待つ。一歩、また一歩。懸命に刻んだ人生の軌跡をたどる。
被災地の自治体職員も復旧復興に奮闘した。経済の再生、災害対応経験の伝承、市町村の枠を超えた連携。地域の未来を背負い、ひたむきに、時として型破りな挑戦を続けてきた。
震災や原発事故でやむを得ず故郷を離れた人たちがいる。帰還がかなわずとも望郷の念は変わらない。新しい暮らしの中で、古里とのつながりを模索し続けた10年をたどる。
新たな社会の構築に向けた取り組みが始まっている。悲しみと苦難を受け止め、暮らしや産業、伝承などの各分野で復興の先を見据えた人々の歩みを伝える。