3月11日午後2時46分、三陸沖を震源にマグニチュード9.0の地震が発生。宮城県で最大震度7を記録した。太平洋沿岸に大津波が襲い、東京電力福島第1原発は全電源喪失に陥った。死者15,899人、行方不明者2526人(警察庁まとめ、2021年3月10日現在)
東日本大震災が発生した2011年3月からの経過を年表にまとめました。
主なトピックスを河北新報の紙面で振り返ります。
3月11日午後2時46分、三陸沖を震源にマグニチュード9.0の地震が発生。宮城県で最大震度7を記録した。太平洋沿岸に大津波が襲い、東京電力福島第1原発は全電源喪失に陥った。死者15,899人、行方不明者2526人(警察庁まとめ、2021年3月10日現在)
3号機で水素爆発
4号機で水素爆発。半径20~30キロ圏内に屋内退避指示
仙台空港は9月25日、国際定期便の仙台-ソウル線が再開し、全面復旧した。米軍の「トモダチ」作戦や自衛隊などが復旧作業を展開。4月13日に国内臨時便、7月25日に国内定期便が復活し、復興を後押しした。
被災地再生に向けて復興施策を統括する復興庁が2月10日、業務を始めた。野田佳彦首相は同日、復興対策担当相を務めてきた平野達男氏を初代の復興相に任命。出先機関となる復興局を盛岡、仙台、福島の3市に開設した。
津波に耐え、復興のシンボルとなった岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」が復元され、完成式が7月3日、現地で催された。復元費用1億5000万円は全国からの寄付で賄った。
政府は1日、福島第1原発から20キロ圏内の田村市都路地区の避難指示を解除した。指示解除は避難区域に当たる福島県内の11市町村で初。住民は約3年ぶりに、制約を受けずに自宅での生活が可能になった。
JR東日本は3月21日、震災の影響で休止していた宮城県女川町の石巻線浦宿ー女川間の運行を4年ぶりに再開した。県内で被災した在来線で全線復旧は初めて。町が復興の第1段階を宣言する「まちびらき」も行われ、多くの住民らが鉄路復旧と地域の再出発を祝った。
津波で死亡・行方不明になった石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は10月26日、「教員らは大津波の襲来を予見でき、裏山に児童を避難させるべきだった」と学校の責任を認め、計14億2600万円の支払いを命じた。学校の管理下で震災の津波の犠牲になった児童生徒を巡る司法判断は初めて。第災害時でも臨機応変な対応を学校に求める内容で、全国の教育現場に大きな影響を与える可能性がある。
津波で町職員ら43人が犠牲になった宮城県南三陸町防災対策庁舎の補修工事が終わり、2月15日、報道関係者に公開された。覆っていたシートが3カ月ぶりに外され、震災直後の様子を再現した赤茶色の鉄骨が再び姿を現した。庁舎は、震災遺構として保存するかどうか町が判断するため、県が2031年まで維持管理する。
東京電力福島第1原発事故で対応拠点になったサッカー施設、Jヴィレッジ(福島県楢葉町、広野町)が7月28日、7年4カ月ぶりに一部施設の運営を再開した。1997年開設のJヴィレッジは東電が建設し、県に寄贈。原発事故後は東電が作業員の駐車場や社員の宿泊場所などとして使った。2016年11月で利用をやめ、芝の張り替えや建物改修を進めてきた。
津波で当時の町長と職員多数が犠牲になった岩手県大槌町の旧役場庁舎で1月19日、本体の解体工事が始まった。震災遺構として残すか否かを巡って長らく町民を二分してきた建物が、ついに姿を消す。2月中旬には取り壊し作業を終え、跡地は防災用の空き地とする計画だ。旧庁舎の解体は「建物を目にすることで耐え難い思いをする町民に寄り添いたい」とする町長が主導。解体差し止めを求めた住民訴訟は17日、盛岡地裁が訴えを退けた。
JR東日本は3月14日、福島第1原発事故の影響で不通となっていた福島県内の常磐線富岡ー浪江間20・8キロの運転を再開した。常磐線は約9年ぶりに同県沿岸部も含めて全線がつながり、震災と原発事故で被災した岩手、宮城、福島3県の鉄道の不通区間が全て解消された。
東日本大震災の復興道路として国が整備を進めてきた三陸沿岸道が18日、全線開通した。未開通区間だった岩手県の普代-久慈インターチェンジ(IC)間25キロの通行が可能となった。震災10年の年に、宮城、岩手、青森3県の太平洋沿岸を貫く総延長359キロの大動脈が完成した。
宮城県南三陸町で復興事業の集大成と位置付けられた道の駅「さんさん南三陸」のオープニングセレモニーが1日、開かれた。震災伝承館「南三陸311メモリアル」が入り、記憶の継承を担う。建物内にはバス高速輸送システム(BRT)のJR志津川駅が移転。南側には復興の象徴となり、2017年に本格再建した南三陸さんさん商店街がある。
仙台市の震災遺構「荒浜小」(若林区)がリニューアルオープンした。防災教育コーナーを新設し、小中学生や家族連れが災害をより身近に感じられるよう展示内容の一部を見直した。