地震と津波、東京電力福島第1原発事故によって 多くが犠牲となった大災害は、 命、人々の暮らし、教育、社会の在りようを根底から問い直した。 私たちが目指した「復興」とは何だったのか。 政府の復興期間の節目となる震災10年に向け、その意味を改めて考えた。
新型コロナウイルスによる感染症と原発事故は共に「見えない敵」との闘いだ。政府の初動対応や危機への備え、政治と科学との関係。二つの未曽有の出来事を重ね教訓を考える。
「事業者の虜(とりこ)」。原発事故の国会事故調査委員会は過去の規制当局を、こう断罪した。原発の安全規制はどうあるべきなのか。事故の教訓は生きているのか。現状と課題を追う。
原発立地のリスクが極限まであらわになった福島の事故。誘致の恩恵はどう変わり、住民は共存の先に何を見据えるのか。原発や核燃サイクル施設を抱える地域のいまを追う。
賛否の迷路で立ちすくんでいた核のごみの最終処分問題が、北海道から一歩を踏み出した。原子力政策を左右する難問は、原発の恩恵を受けてきた私たちに何を問い掛けているのか。経緯を振り返り、これからを考える。
原発事故から丸10年。原発利用の先にある核燃料サイクルは、行き詰まりの度を深めた。つじつまの合わない原子力政策はどこに向かうのか。サイクルの現実と幻影を追う。
原発の稼働は是か非か、各地の法廷で応酬が続く。安全性にお墨付きを与え続けた裁判所の姿勢は、原発事故を経て変化も見られる。司法が果たすべき役割とは何か。原発裁判の過去と現在から考える。
他者の拒絶と分断。原発事故で生じた社会の裂け目が、コロナ禍で再び目の当たりとなった。自らの考えと価値観を押し付けようとする姿勢は、原子力を巡る対立に通底してはいまいか。相互理解への手掛かりを模索する。