河北新報特集紙面2018

2018年11月18日 継承の地に思いを寄せ、新たな未来を描く希望を。

継承の地に思いを寄せ、新たな未来を描く希望を。

 東日本大震災直後から被災家屋の片付けや清掃、仮設住宅の見回りなど幅広い活動を続けている「一般社団法人 気仙沼復興協会(KRA)」。
 今回のボランティアツアーは、精力的に支援を行うKRAのメンバーとともに、気仙沼市の現況視察と、震災以前の名残を今に伝える「一景嶋(いっけいじま)神社」の清掃活動に取り組みました。
 かさ上げ工事や防潮堤建設が盛んに進む港町に、人々の営みと活気を取り戻すため何を守り、何を生み出すことが必要なのか。60人の参加者たちは、活動を通して気仙沼の新たな街づくりのあり方を考える機会を得ました。

継承の地に思いを寄せ、新たな未来を描く希望を。

気仙沼の再生を支える活動と地域の大切な場所を守る人々

 ツアー当日はあいにくの荒天で、当初のスケジュールを大幅に変更しての出発となりました。一行を乗せた2台のバスは、気仙沼市弁天町の「ホテル一景閣」へ。大広間では、代表理事の熊谷義弘さんをはじめとするKRAのメンバーが出迎えてくれました。挨拶と自己紹介を済ませ、まずは環境保全部の小山清和さんが、KRA創立の経緯とその活動趣旨について説明してくれました。話の途中、プロジェクターに投影された震災前後を比較する階上(はしかみ)エリアの航空写真に、思わず真剣な眼差しとなる参加者たち。あらためて、この地区を襲った津波被害の恐ろしさを実感させられました。そして小山さんは、現在行っている活動として、津波で傷んだ写真の修復・アーカイブ化や植樹、農地支援なども紹介。「月命日の捜索活動は今も続けていますが、最近は気仙沼の明るい街づくりを支えるサポーターとしての役割を担っています」と結びました。

 熊谷さんは、今回のボランティア活動の場となる「一景嶋神社」について説明。自身もかつて弁天町内に居住しており、ホテル一景閣で避難生活を強いられた経験から語り始めました。凄惨な状況に絶望し「このままでは神社をやめようかと思った」と当時を振り返る熊谷さん。そんな時、奇跡的にご神体が岩間から無傷で発見されたそうです。それが神社再建へ奮起するきっかけに。氏子が離散してしまったため、人材と資金集めにかなり苦労を重ねながらも、2013年3月に竣工。「お祭りや地元の人々の憩いの場となるよう、神社に隣接して公園も整備しました。しかし、現在の弁天町は一般住宅を建築することが許されておらず、氏子となる住人を増やすことが難しい状況です。それでも、地域の大切な場所として守っていければと思います」と、確固たる信念を参加者たちの前で示してくれました。

震災以前の一景嶋神社について
語るKRA代表理事の熊谷さん
左/悲しみと教訓を後世に伝える杉ノ下地区の慰霊碑 
右/展望台の上で津波が押し寄せた地域を説明する小山さん

今もなお残る悲劇の爪痕に活動を続ける意義を再確認

 昼食を済ませ、一行はバスに乗車して階上エリアの見学へ向かいました。最初に訪ねたのは、杉ノ下地区の慰霊碑。海岸からほど近くに集落があり、過去に大津波を経験したことから住民の多くが避難意識を持っていましたが、想定をはるかに超える規模の津波が押し寄せた地区で、住民312人の3割にあたる93人が犠牲になりました。多くが避難場所だった杉ノ下高台(海抜11メートル)に逃げ込み、命を落としました。参加者たちは、犠牲者の名前が刻まれた石碑の前で、静かに手を合わせて黙祷。そして、新しく出来た防災広場に建てられた展望台に登り、お伊勢浜海水浴場や防潮堤に縁取られた海岸線などの位置を確認しました。

 バスの車窓からは、波路上(はじかみ)地区の「気仙沼向洋高校旧校舎」を視察。ここも例にもれず津波によって深刻な被害を受けましたが、当時学校にいた生徒、教職員は全員無事だったそうです。以後、しばらく仮校舎での授業が行われてきましたが、今年8月、長磯牧通(ながいそまぎどおり)地区の新校舎に移転し、旧校舎は、震災遺構としてほぼ全施設が保存されることが決定しています。旧校舎は窓が破れ、自動車が突っ込んだままの痛々しい姿をそのままに残し、この光景を目の当たりにした参加者たちの口々から、深い溜息が漏れていました。

港町のシンボルとなっている由緒ある古社で清掃活動

 バスが「一景嶋神社」に到着する頃、それまでとは一変して爽やかな好天に恵まれ、ボランティア活動に臨む一行のモチベーションがアップ。それぞれ作業用の手袋をはめ、境内の草取りやゴミ拾いに取り組みました。定期的に氏子の方々が整備を行っているそうですが、参加者が手にするビニール袋はどれもすぐに雑草やゴミでいっぱいに。約1時間の作業を終えると、境内はスッキリとした印象に変わっていました。最後に、みんな晴れやかな笑顔をたたえながら記念撮影。活動を終えてほっとした表情のKRAメンバー福岡麻子さんは、「復興途上の気仙沼を知ってもらった皆さんには、地元自慢の海の幸を味わったり観光を楽しんでもらったりしながら、これからどんどん変わっていく姿を見守って欲しいですね」と、今回の参加者に大きな期待を寄せていました。

震災遺構として保存される気仙沼向洋高校旧校舎 境内に生い茂る雑草を熱心に集める参加者たち

気仙沼ボランティアツアー 参加者の声

仙台市泉区

佐々木 皓太さん

 5歳の時から大学に入学するまで気仙沼市で暮らしていました。今回のツアーは、現在の景色を見て回りながら、子どもの頃の記憶を呼び起こす経験となりました。また、報道などでしか震災を知らない県外の友達と一緒に参加したので、被害の甚大さや復興の状況を直に体感してもらえて良かったと感じています。「一景嶋神社」は昔からよく知っている場所だったので、この活動を通じて、また地元のことを深く知る機会となってうれしいです

宮城県松島町

柴田 夕奈さん

 親しい友人をこの南三陸町で亡くし、その最後の足跡と思われる南三陸町防災対策庁舎には、これまで何度も足を運びました。町内見学で伊藤さんがバスの車中で見せてくれた、震災当日や被害状況の写真には、とてもたまらない気持ちになりました。そんな、南三陸町の今をたどりながら、命の大切さを知る森づくりの体験ができ、とても大きな意義を感じています。

仙台市青葉区

西村 道子さん

 昨年、兵庫県西宮市から夫の赴任先である仙台に来ました。ボランティア活動などで被災地に関わりたいと思っていたところ、このバスツアーが開催されることを知り、参加を希望しました。阪神大震災の復興に至るスピード感を知っているので、現在の気仙沼の状況を見て、その被害の深刻さに驚きました。近年、日本中で自然災害が多発しているので、そういう事態に自分はどのような行動を起こすべきかを学ぶことができたと思っています。

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