2019年3月31日 −次世代が担う震災伝承トークイベント− 311伝え継ぐのはわたしたち レポート
震災を語り継ぐことの大切さ 本間 秋彦さん
トークイベントの司会・進行を務めたのは、地元宮城のラジオやテレビでおなじみの人気パーソナリティー、本間秋彦さん。開会の挨拶が済んだ後、出生地である石巻市鮎川浜や東日本大震災発生時の経験を振り返りながら、自身の置かれた立場から考える震災伝承について話してくれました。
幼い頃、祖母や母親から聞かされながらおぼろげな記憶となっていた、昭和三陸地震やチリ地震による津波の恐ろしさ。鮎川浜で繰り返された被害を考察しながら、「大災害を時間軸の点でしか捉えていなかった。折に触れて語り合うなどして、経験として積み重ねていかなければ」と、会場に訴えかけました。
また、取材やボランティアで被災地を訪れた際、現地の人たちから「本間ちゃんは本間ちゃんらしく、みんなを笑わせて欲しい」と声をかけられたことに自身が果たすべき役割を再認識し、「地元生まれ、地元育ちのパーソナリティーとして、復興の現状を自分らしい言葉で伝えていければ」と、前向きな言葉で締めくくりました。
(ほんま・あきひこ) 石巻市(旧牡鹿町)鮎川浜出身。宮城を中心に活動しているパーソナリティー。現在、東日本放送「突撃!ナマイキテレビ」(毎週月〜金曜9:55〜11:05生放送)、Date-fm「エアジャムフライデー」(毎週金曜13:30〜18:30生放送)、「リセッターズ」(毎週月曜12:30〜13:00)などのレギュラー番組でメインパーソナリティーとして活躍中。 |
阪神大震災の年に生まれた 24歳の「語り部」の決意 中村 翼さん
阪神・淡路大震災の神戸で、まさにその日に誕生して以来、重い運命と対峙し続けてきた中村翼さん。壇上では、多くの悩みと学びを得た学生時代を経て、震災の語り部として活動に取り組むまでの経緯を語ってくれました。
“奇跡の子”としてメディアから注目を集めながらも、中学3年生まで震災について詳しく知らなかったという中村さん。15年目の節目に、何度も取材を受けたり当時の映像を目にしたりしたことで震災の深刻な被害規模を知り、その事実を受け止めねばと感じながらも、「たまたまこの日に生まれただけなのに、なんでこんな思いを抱かねばならないのだろう」と虚無感に襲われたそうです。
転機となったのは、神戸学院大学に進学して出合った「防災・社会貢献ユニット(現:現代社会学部社会防災学科)」の学び。自分が生まれた日について見つめ直し、自分に何ができるか考えた先に、子どもたちを対象にした「出前授業」へたどり着きました。大学2年生の時には、東日本大震災のボランティアにも参加。そうして迎えた20年目、再びメディアの取材を受けて気づいたのが、震災の日に生まれた自分が成長して震災伝承に取り組む姿を伝えることで、被災者を勇気づけられるのではないかという発見でした。そして、両親から当時について聞く決心も生まれ、「自分の誕生を願う思いを知って、命の尊さをより実感することができました。自分だからこそ知りえた震災の事実を、語り部として語っていければと思っています」と、強い決意の言葉で結んでくれました。
(なかむら・つばさ) 阪神・淡路大震災のあった1995年1月17に神戸市で生まれる。震災についてより深く学ぶため、大学で防災教育を専攻。遺族等で結成された団体「語り部KOBE1995」で語り部活動に参加し、命の尊さ、助け合いの大切さを伝えている。 |
被災地レポート
若者たちが見て、感じた被災地を会場へ。
トークイベントに先立ち、次世代塾受講生の3人と女優、岩田華怜さんが東松島市野蒜地区を訪ね、被災地の現状と伝えるべき教訓を再確認しました。現地では、「仙台防災未来フォーラム2017」のトークセッションに参加してくれた語り部、志野ほのかさんが合流。志野さんのガイドで、「東松島震災復興祈念公園」の慰霊碑、旧野蒜駅跡に造られた「東松島市震災復興伝承館」、旧野蒜小学校跡の防災教育体験宿泊施設「KIBOTCHA(キボッチャ)」、そして、志野さんの自宅があった跡地を巡りました。
この視察内容を、次世代塾受講生たちが今回のトークセッションで発表しました。当日やむなく欠席となった岩田さんのコメントも河辺さんが代弁。「若い世代が中心となってできることがたくさんあるはず。手渡しの感覚で、身近な人に震災の教訓を伝えていければと思っています」と、岩田さんのメッセージを届けました。
志野ほのかさんの体験談に真剣な眼差しで聞き入る4人 | トークイベントに備えて最後に全員で意見や感想を発表 |
岩田 華怜さん
(いわた・かれん) 宮城県出身。2016年にAKB48を卒業後、女優業を中心に活動。映画「殿、利息でござる!」をはじめ映画やドラマで活躍するほか、デビュー以降17本の舞台にも出演。震災をテーマにしたテレビ番組ではナレーションを務めるなど、自らの被災体験を元に今も現地に出向き伝え続けている。
「311『伝える/備える』次世代塾」の第2期受講生
河辺 千尋さん、安田 琉来さん、堀 美祐夏さん
河北新報社防災・教育室 TEL022-211-1591
詳しくはこちらから https://www.facebook.com/311jisedai
受講生3人にとって次世代塾での学びがさらに深まる絶好の機会に
−−まずは、次世代塾の受講生たちと同じ20代で、現在、語り部として活動している中村翼さんの講演を聞いた感想はどうですか。
河辺さん 震災の日に生まれたことで注目されてしまう複雑な思いを抱えながら、自ら震災について語り広めようとする勇気と信念に感銘を受けました。
本間さん マスコミが嫌いになったでしょ? そういう状況の中で、伝える側になろうとした決断が素晴らしいと思いましたね。
中村さん 先程、東日本大震災のボランティアに参加したお話をしましたが、名取市閖上地区の被害は想像を絶していました。同じ震災といえども、状況はまったく違うことにショックを受けました。でも、自分と同じように震災の記憶を風化させないという思いを持って行動していることを知り、とてもうれしく思いました。
−−次世代塾の受講生たちは震災当時、小学6年生でした。震災について語る上で、深く体験しているか、していないかの差は重要でしょうか。
安田さん 私は、東日本大震災の発生時は地元の青森県にいました。だから、直接的な被害を体験してはいないのですが、ここ宮城に拠点を置くことで学ぶ機会を得られ、伝えつなぐことができる可能性を感じています
堀さん 体験の深さによって伝えられるものもあると思っています。自分が体験して率直に感じたことを伝えることに意義を感じます。
河辺さん 私は関東出身ですが、宮城県の大学に進学してから震災と向き合う機会を得ました。だから、経験が有るか無いかが問題ではないと思っています。
本間さん 自分の仕事の上では、震災の経験があることで伝えやすいと感じています。防災の教えにつなげるためには、情報の蓄積が大切ではないでしょうか。震災の被害は津波だけじゃありません。それぞれの経験を集積して、話し合いで共有していければ良いのではないでしょうか。
中村さん 普段の生活で、震災について伝えるチャンスが多くありませんが、友達同士の会話に採り入れたりしてみてはどうでしょうか。話題にする人が多いほど、記憶として残り続ける可能性が高まります。また、個人的には、阪神・淡路大震災と東日本大震災の経験や教訓を結びつける必要性も感じています。
−−東日本大震災も8年が経過しましたが、震災の記憶の風化についてどう思っていますか。
堀さん すでに平穏な日常を取り戻した人や深刻な被害を経験していない人から、記憶の風化が始まっていると感じています。
河辺さん 地元の栃木県では、「こんなこともあったね」という感覚の人がほとんどです。これからは、若者に身近なSNSを活用したり観光事業などとからめたりしながら風化を防ぐ手立てを考えなければと思っています。
中村さん 昨年は、日本各地で大災害がたくさん起こりました。だから、他人事とは思わず、命を脅かす危機が身近に迫っていると感じてほしいですね。そして、これを契機に、過去に起きた震災について知るきっかけにしてくれれば。年代を超えて共有するために、地域コミュニティーの結びつきを強める必要も感じています。
安田さん 次世代塾で東松島市の仮埋葬地を訪ねましたが、まだまだ知らないことが多いと痛感しました。震災の事実と向き合いながら、自分なりの情報発信を続けていきたいと思っています。
本間さん 震災を体験した1人として、リアリティーをもって伝えることが大切だと考えています。そして、1人だけで伝えていくのは限界があるので、より多くの人が共有することが必要です。だから、SNSは君たちのような若者たちに任せます!
中村さん 阪神・淡路大地震の発生からだいぶ時間が経過してしまったため、語り部の高齢化が目立ってきました。だからこそ、自分たちのような若い世代が率先して行動し、活動の意義を示していければと思っています。
【パネリスト】 【コーディネーター】 |