河北新報特集紙面2022
2023年3月13日 西宮市立浜脇中学校で震災伝承新聞を活用した特別授業が行われました。
兵庫県西宮市立浜脇中学校
- 震災伝承新聞を活用した特別授業が行われました。
新聞を読んだ生徒321人の感想を紹介します。
学年・クラスは2023年3月末時点
石丸 心葉 さん
東日本大震災の記憶をずっと語り伝えていかなければならないと思ったし、大切な人を失ってしまった人たちや家をなくした人たちの為にも私たちができることを精一杯やるべきなんだなとも思った。門脇小学校で住民や教職員の命を救った行動について書かれている記事を読んで、災害時には助け合って生きることがどれほど大切なのかを感じた。また、震災後も地域をどう復興していくかで、たくさんの人々が「がんばれ」と応援してくれたり、ボランティアの人たちが自分にできることはないかと地域の復興に力を貸してくれたりして、心は一つなんだなと思った。
上山 美遥 さん
震災はいつ来るか分からないから忘れないように日々覚えておこうと思わされました。
そして、みんなが震災が起こっても対策できるように週に一回は震災について学べたら良いと思います。また、地域の方々と関わりあって一緒に避難する活動をしたいです。
大澤 柚月 さん
閖上小中新聞に紹介されている雁部那由多さんは、津波に足元をすくわれて手を伸ばしてきた男性の手を取らなかったこと、また自分も昇降口の扉の向きが違えば助からなかったことが書いてありました。当時は小学5年生だったというのもあると思いますが、いざという時に自分が周りを助けれるのか?ということを考える機会となりました。
長川 枇奈 さん
東豊中学校さんの新聞記事に取り上げられている自ら潜水士の資格を取得し、亡くなった奥様を探している高松康雄さんの記事が一番印象に残りました。亡くなった妻のために自分から行動を起こす姿から、奥様をものすごく大切にしておられるんだなと思いました。高松さんや他の行方不明者を探しておられる方々が、一刻も早く探している人を見つけられるといいなと思いました。また、30年以内に来るといわれている南海トラフ地震では、このようなことにならないように、避難訓練や防災バッグなどの日頃からの備えを大切にしたいです。「自分の身は自分で守る」という意識を全員が持つことで亡くなってしまう人や行方不明になる人が少しは減ると思います。世界中で二度とこういったことが起こらないことを願っています。
川上 桂人 さん
震災伝承新聞を読んで、大切なのは東日本大震災の経験を後世に語り継ぐことだと思いました。新聞にはいつも通っていた小学校が津波に飲み込まれてしまったことや、妻との最後の会話など、読んでいるだけでも当時の震災の時の悲惨さが想像できました。また、地震発生後から分刻みで現地の状況が書かれている文面を見て、当時の緊迫した様子がはっきり分かりました。新聞を読む前までは東日本大震災では津波でたくさんの人が亡くなってしまったことしか知らなかったですが、津波から必死に逃げる様子や当時の写真などを見て、より東日本大震災についての理解を深めることができました。またこのような機会があれば積極的に取り組みたいです。
口羽 紗綾 さん
私は、特に閖上小中新聞の雁部さんの言葉に感動しました。あの時、手をつかんでいれば助かったかもしれない、自分が見殺しにしてしまったという罪悪感は、重すぎるものだと思います。私たちが住む西宮市も、阪神・淡路大震災で被災しました。まだ私たちが生まれていないときのことですが、今でもその時の出来事や教訓が受け継がれています。また、私は生徒会本部役員に所属しているのですが、生徒会本部役員として出席したイベントの中に、「被災地きずなコンサート」というものがありました。そこでは、東日本大震災で被災した、岩手県の中学校と会談をしました。その中学校から、「復興への想い」について、生徒全員の想いをのせたメッセージをいただきました。「この震災を必ず伝え、つないでいく」という強い思いが感じられた会談でした。この新聞からも、同じような、つないでいかなければならないという強い思いが感じられます。復興、そしてこれからのために、ともに頑張っていきましょう。
小林 明香里 さん
震災伝承新聞のたくさんの記事の中でも私は特に、荒浜中学校の生徒さんたちが地域の方々と協力して作った「あらはマップ」に感動しました。これは、災害時に備えて作られている地図ですが、荒浜ならではの魅力や、大津波警報が発表されたときに安全に避難できる経路がわかりやすく記されています。東日本大震災という大きな災害を経験した地域だからこそ書ける記事だなと思いました。
里見 伊織 さん
行方不明となった家族を何としても探し出そうとする思いが伝わってきました。もう亡くなっているかもしれないけど一つの可能性を信じて進んでいると思いました。
佐野 海斗 さん
東日本大震災の記憶は全くといっていいほどないけれど、今回の記事を読んですごく大変でつらかったと思う。自分は阪神・淡路大震災についてももっともっと調べたりすることが大切なのでは?と思ったし、東日本大震災についてももっと知りたいと思った。
次に来ると予想される南海トラフ巨大地震への備えと実際起こったらどう対処すればよいなどのことをもっと知りたいと思った。
髙田 英美理 さん
私たちが住んでいる兵庫県は、阪神・淡路大震災の被災地となりました。私が経験したわけではないですが、毎年避難訓練をする度にその時の怖さを感じ、いつ来るかのわからない恐怖心を覚えます。私は、「避難マップや避難用リュックを作らないといけないな」と思うだけで準備ができていないので、八乙女中学校が取材した「あらはマップ」は荒浜中学校の皆さんが作ったことを知り、自分の町でもマップ自体はありますが、それを高齢の住民の方々に伝わるように掲示板を作ったりなどをして、震災が起こった際に一人でも多くに人が避難できるよう自分が動いて頑張ろうと思いました。
瀧井 登真 さん
今後、東日本大震災と似た南海トラフ大地震が起こるとされているので、今回の震災伝承新聞に目を通して後悔がない行動をとりたいなと思いました。例えば、自分が手を差し伸べられなくて一人の人間を助けることができなっかたりだとか、自分が死ぬか死なないかの境界線に立った時、真っ先に人のことを優先できるような人になりたいなと思いました。またニュースなどで、これまで想定していたよりも大きな津波が来てしまうということも聞いたので、避難場所にたどり着いたからといって慢心せず、指示をしっかりと聞こうと思いました。
竹村 晃琉 さん
実際に震災が発生したら、その時は自分の命を守るのに専念しなければならないけど、少し落ち着いたら次は他の人のため、町のため、未来のために動く人がほとんどなんだと知って、震災は人を傷つけるけど、人に何かしらの影響を与えるのだと思いました。震災を経験した人は、その恐ろしさが分かるけど、経験したことがない人は、話を聞いているだけで正直本当の恐ろしさが分からないんじゃないかなと思います。しかし自分から被災者に取材することで、その人の話し方から震災の臨場感みたいのが伝わってきて来ると思うので、このような取り組みはすごく良いことだと思いました。
出口 光輝 さん
河北新報さんが、このような中学生の取材した記事を用いて、震災のリアルを伝えてくださっていることを初めて知りました。
僕の住む兵庫も阪神・淡路大震災の被災地ですが、浜脇中学校でこのような取り組みをしたことはありません。この記事を読んで、ぜひ浜脇中学校でも、震災の記憶をつなぐ活動を積極的にしていきたいです。
僕たちは、阪神・淡路大震災を経験していないので、実際の大震災の恐ろしさをよく分かっていません。僕たちの後の世代はもちろん分からないと思います。それで、今僕たちにできることは、被災した人たちの経験と教訓を学び、それを次の世代に伝えることです。このような取り組みはとても大切だと思います。中学生の僕たちにもできることがあるんだということに気づかされた記事でした。
豊田 一翔 さん
震災伝承新聞を読んで、東日本大震災は本当に忘れてはならない出来事だなと思いました。津波で多くの命が奪われて、とても津波の悲惨さを知りました。今後、南海トラフ地震は、僕たちが生きている間に起こるかもしれないから、学期に数回している避難訓練などを今まで以上に真剣に取り組んでいこうと思いました。
中元 倫 さん
一人ひとりが死に直面して一瞬の判断が生死に直結してしまうことがとても怖く、死んでしまったら後悔もできないので、本当にその一瞬が怖いなと感じました。(閖上小中が取材した雁部さんの話)
東日本大震災を経験して、とても怖い思いをした時に「おのくん」という人形がその恐怖を和らげてくれたのかなと思いました。たかが人形なんて思ったらだめだなと思いました。(閖上小中が取材した武田さんの話)
行方不明になった家族を探すのは、相当骨が折れることだと思うけど、それをする人はすごいなと思いました。どこかで「もう死んでるだろう」とか「諦めようかな」とか思わないのが不思議だと思いました。しかも探すための資格まで取ったというので、愛する人を探す気持ちはとてもすごいなと思いました。(東豊中が取材した高松さんの話)
野田 海里 さん
「当たり前があることは、幸せなこと。当たり前を大切にしてほしい」という言葉はとても印象に残っている。僕も家族や友達と他愛もない会話をする時、幸せだなと思うことがあります。そしてその度に今生きているんだと実感します。僕は地震を体験したことはありません。しかし、同じ人間として感じていることは同じだと思っています。なのでこれからの人生で高い壁にぶつかった時、この言葉を思い出し乗り越えて生きたいと思いました。
橋本 しほ美 さん
死者と行方不明者が2万人以上もいるということは、まだ見つかっていない人もいるから、その人たちのことを考えたらとても心が痛むし、その人たちの分も頑張って生きていきたい。あと、どうして東京などの関東地方にまで被害が出たのかを具体的に知りたい。私は、階数が高いマンションに住んでいるけど、何階ぐらいまで津波が来るのかを知りたい。今の生活は当たり前じゃないということを、自分で理解しながら、日々生活していきたいと思う。
濱上 悠斗 さん
東日本大震災は自分がまだ2歳の頃に起こったことなので、詳しいことはよくわからないけど、この震災でたくさんの人が亡くなっている。このことは自分たちも他人事ではないと思う。実際に自分が生まれる前には阪神淡路大震災が起き、たくさんの人が亡くなっている。だからこそ、この新聞記事のように、支援や募金などに協力しようと思います。
平田 釉子 さん
当時、中学生だった方々はどんな思いで避難していたのか気にになりました。日常生活の当たり前のことは当たり前ではないのかもしれないと思った。日々の生活を大切にしようと思った。
松木 想來 さん
「誰かを見殺しにして自分は助かった。」この一言が私はとても印象に残りました。もし、自分が雁部さんと同じ状況になったらどうするだろう。きっと私も同じ選択をしていたはずです。そして、永遠に消えることのない自分がした選択に対する後悔や、心の傷になっていたと思います。そんな思いにはなりたくありません。そして、もう誰も尊い命を失ってほしくありません。そうするために〝今私たちにできることは何か〟、閖上小中学校の生徒の皆さんも言っていたように、私たちにできることは決して風化させないこと、〝記憶のバトンつないでいく〟こと。こんなにも苦しい思いをした人がいたことを決して忘れてはいけない、未来へとこの思いをつないでいかないといけない、私はそう強く感じました。
宮本 結衣 さん
河北新報 震災伝承新聞を読んで、今、当たり前に学校に来て、授業を受けて、友達とたわいのない話をすることは決して当たり前ではないし、とても幸せなことなんだと改めて強く思った。今から過去に戻って何か行動をすることはできないけど、これからどんな地震が来ても大丈夫なように備えていきたいし、2011年3月11日に東日本大震災が起きたことを受け継いでいきたい。東日本大震災が起きたときは当時、私は3歳で記憶にはないけれど、多くの人が苦しんで、亡くなったことは分かるので、何年たっても風化しないように1人の人間として何か行動をしたいと思う。
元林 澪花 さん
閖上小中新聞に書かれていた震災当時小5だった雁部さんの経験は、自分に助けを求めている人がいるのに自分の事で精いっぱいで手を差し伸べてあげることが出来ず、その人が亡くなってしまったことが書かれていました。雁部さんは「自分が見殺しにしてしまった。」と書いていたので、大人でも抱えきれない思いを背負っていたんだなと思いました。このことを後世に私たちが伝えていけたらいいなと思います。
山根 梨乃 さん
私は新聞記事を読んで残酷な気持ちになりました。今まで震災についての話はたくさん聞いてきたけれど、この記事は今までで一番印象に残った。「男の人を見殺しにしてしまった」と書かれていますが、私を含めて多くの人にとって、こんな思いや気持ちになるのは人生に1回もないと思う。震災は心に深く残り、ずっとつらい思いになるのだと思った。
山本 りお さん
行方不明のままの自分の妻を探すため、潜水士を取得する行動力がすごいと思った。それと共に「妻は海にいると思うから見つけたら家に連れて帰って『お帰り』と言いたい」と言っていたことがすごく悲しかったです。
今ある当たり前を大切にしたいと改めて深く感じました。地震などが起こったとしてもパニックにならないように落ち着いて行動ができるようになりたいと思います。
学年・クラスは2023年3月末時点